再開

「パーキンソン」という病名を聞かされ早や三年、体重も35kgを割り、

激しいせん妄に悩まされ、生活の全てに助が必要となっている満88歳。

感染症による緊急入院から約3週間、退院に向けたカンファレンスから

週2回の訪問看護の手筈も無事整い、帰宅の運びとなる。

 

事業所はレスパイトを頼んだ療養病院が運営する看護ステーションとなった。

訪問サービスは、先ずはバイタルのチェック、そして、便通状況の確認から

排泄の対応、更に入浴の介助なども医療の一環として任せることができたが、

私は「簡単で良いから」とリハビリを頼んだ。

 

それを快く承諾してくれた看護スタッフはリハビリ科と連携をとり、ゆっくりと

簡単な手足の可動介助を始めることになった。そして、週二日の訪問日の一日を

リハビリ科の理学療法士に任せる訪問リハに切り替えようとの話になっていった。

 

月、満を持し、その訪問リハがスタートするのだが、それに派遣されてきたのは、

まだ医療学校を卒業したばかりの新人ではないのかという、うら若い娘さんだった。

 

訪問看護事業部は概ね、学校に通う子供を持つ位の中堅・ベテラン域のスタッフで

構成されている。看護であれ理学療法であれ、訪問ケアは監督者のいない各現場で

患者の安全に責任を負うべき立場。経験値は足りているのかとの懸念がよぎる程に、

訪れてきた女性理学療法士は若輩に見えた。

 


  

手技が始まり様子を見ていると、その手さばきは存外熟れていて、顔は私に向け、

淀みなく都度都度の説明を続けながら、手に伝わる感触だけで躰の状態を把握し、

ケアも途切れることなく進行していく。そして、その様子は男女の違いこそあれ、

あのリハビリデイのセンター長を思い起こさせた。

  

若く見えてはいるが、これは「10年選手」といったところか、もしかすると年齢も、

あのリハビリデイのセンター長だった輩と同じ位なのかもしれないし、同業として、

知り合い同士ということさえ有り得る…。

  

これまでの失敗が一気に蘇り、縁起でもない負の発想が次々と湧き上がってくる。

一方、当の母はそんな私を他所に、女同士ということも幸いしてか、ゆったりと

この療法士に身を委ねている様だった。

 

私は彼女に年齢や実務年数を聞くかわりに、訪問を生業とするのなら、

介護でのデイサービスなどでも良かったのではないかと、聞いてみた。

 

それに対し、彼女は「介護保険でのリハビリで救われている人もいると思う、

でも、病院は先ず、医師が診断を行い、その医師の監督体制の下で自分達は

仕事をしている。介護保険によるデイサービスには医師が施設にいないので、

その指示系統が曖昧になる」そんな考えで、自分は病院勤務を選んでいると。

 

その言葉を聞き、私はもう余計な詮索をするのは止めることにした。

そして、母のリハビリの態勢が一年半ぶりに再会することとなった。

 

    クローバーの花ひろがって明ける忌か