待機

「パーキンソン病の急性増悪、尿路感染症」ということで、昏睡状態となり

搬送された母。抗生剤投与の対処が中心で、約一か月間の入院が続くのだが、

ある時、病棟の看護師長が私のところにやって来て、退院後の生活について

方針を聞いてきた。

 

「退院後、施設への入所を選択肢に入れているのか」と師長は言うのである。

「パーキンソン」との診断から、この時点で母は約一年半、頼みの綱となる

リハビリも頓挫したまま体力の衰えは目を覆わんばかり、加え、昏睡からの

覚醒直後とあって、案の定、再び強いせん妄に襲われている。

  

もし、適切な施設で、日毎のバイタル測定など体調管理に抜かりがなければ、

より速い段階で異変は感知され、これ程の大事にはなっていなかったのでは…。

そう言われると返す言葉もなく、この際は、自分一人での介護の抱え込みの

限界を先ずは認め、候補となる入所施設の検討に入るべきとの展開になった。

 

母は30代半ばまで国語科教員としての勤めがあったが、私達兄弟の出産後、

専業主婦となった。そのため、年金は共済と国民の二本立てとなっており、

同じく教員で定年まで勤め上げた父と比べ、役3分の2ほどの需給となる。

 

つまり「介護付きの有料老人ホーム」などは預金を切り崩しながらの入居を

迫られる分不相応な代物という話で、入居一時金が掛からず、入居者本人と

扶養者の負担力に応じ、月料金が7から15万円程で済む公的施設である

「特別養護老人ホーム」を尋ねてみることに。

 

だが「特養ホーム」の現状とくれば、この時、待機登録者が全国で30万人程も

居るとされ、どこも順番待ちで溢れ空きはなく、こちらもほぼ門前払いの状況。

 

そうなってくると、他の予算に見合う民間の施設を見ていくしかなくなるが、

例えば「サービス付き高齢者向き住宅」などは自立生活を送れていることが、

入居前提となっている。並みの経済力で要介護度が高くなってきている者が

「特養ホーム」の待機組に回されてしまうと、もう後は何処か拾ってくれる

療養病院を探し出し、丸投げしてしまうしうくらいしか選択がないのである。

  


 

因みに現在、特養ホームは入所希望者と共にその利用率も低下傾向にあるらしい。

理由としては、人件費や光熱費高騰の影響で赤字経営の施設が増加している現状、

市場原理に晒される中、他の施設との競合が激化しているや施設で対応しきれず、

入院していく人が増えていることが要因なのだと。

 

つまりこれは、公の施設として要介護度の高い高齢者の受け入れとその供給体制は、

社会保障費の財源と一定の相関関係があるということで、予算配分が不十分なまま、

全国で未だ20万人超の待機者が有り続ける現状は変わっていないという話である。

 

現在、日本はかつては世界2位だったGDPも中国とドイツに抜かれ、4位に転落した。

少子高齢化も相まって社会保障関係費の増加が財政の負担になっているのだという。

政府の債務残高がかさみ、緊縮財政が続き、国民の負担率ばかりが高くなっていく。

 

戦後の復興から高度経済成長を「働き蜂」などと揶揄されながら、日本のGDP2位を

支えてきた父母のような昭和一桁から団塊世代、第一次ベビーブーム生まれの人達が

現役から退き、待っていたのは、何事も自己責任で、若い世代の足手まといのような

存在として放置される世の中だったということではないか。

 

母の体調管理について見落としない態勢を整えることを課題とされていた私は、

特養ホームを待機組に回されたことで、レスパイトも含めた療養病院への転院、

つまり、入院を続けるのかとうか、ということに選択が絞られていった。

 

懸念は、やはりせん妄のことだった。次々に医療スタッフが入れ替わったりすれば、

それでなくても救急搬送後に再燃しているせん妄が収集つかなくなるのではないか…。

結局、訪問看護を就け、在宅に帰る方向で私は看護師長に回答するが、そもそもの

師長の懸念は、その場合、私一人に介護負担が掛かり続けることにあるようだった。

 

       暦日や梅押せば押すだけ沈む