「母の体調は二日前の体験利用と比べ、格段変わった様子はなかった、故に自分に全く非はない」
当事者である前センター長は代理人を介し、こう見解を翻した。それを受け前回の法律相談では、
終始、医学的な立証の困難さについての講釈を聞かされることになり、あえなく相談は終了した。
約半年経ち、改めての相談とは言っても、何か目新しい立証材料が確保できている訳ではない。
今回は前センター長のこれまでの発言の整合性により照準を絞り、母に施した処置についての
相談を展開する。裁判所というもの、状況を鑑みての判断ということは絶対にあり得ないのか、
燻り続けるわだかりに、先ずはケリをつけてしまいたい。
法テラスでの相談時間は一回30分の制約。だが、これはデイセンター側の過失による傷害
(不法行為)を立証し、損害賠償を勝ち取るという話。相談は1時間の予約で取られている。
私は母の既往歴もそこそこに、文書類を提示しながら、デイセンターの対応に重点を置いて、
時系列に話を進める。そして、その内容をそのまま、この事業所が契約を正しく履行しない
(債務不履行)業者との訴えにも繋げていくのだ。
一通りの事情説明に、30分を使い切ることになった。それに対し、弁護士は質問を返してくる。
どの医者からどんな診断書が確保できているのか、更にどんな所見を追加する必要があるのか…。
拒否したままになっている医療調査を同意した上で、事態を前進させるための方策を考えていく。
母の通院に関しての質問が続き、気付けば、相談は前回を再現するかのような展開になっていた。
つまりは、こうしたケース、医学的な立証なしに裁判所が被告側の過失を認めた判例などはない。
前回同様、それが弁護士としての見識ということのようだ。
弁護士はセンターからの最初の通知書に膝関節症等、母の既往歴の記載があることも付け加え、
「原因は前センター長の処置以外にも考えられる」と、主張されることを前提に意見を続ける。
「原因は前センター長の処置以外には有り得ない」と、反論するのに必要なの物は、最終的に
診療記録と診断書。処置を受けてから受診までの時間が空きすぎていることが、何と言っても
致命的だと。
「母の体調は二日前の体験利用と比べ、格段変わった様子はなかった、故に自分に全く非はない」
たとえ他の発言が矛盾だらけでも、相手がこの一点さえ崩さなければ、こちらは医学的な立証を
求められる。相手の人格が不誠実だから過失も犯した、とはならない。不法行為で相手を訴える
場合の被害者に求められる立証責任とはそういったものだと。
かけがえのない命や健康がぞんざいに扱われた。医療裁判の勝訴率がどれだけ低かろうと
その無念を訴える場所が裁判しか残されていないのなら、勝つのは難しいと承知の上でも
訴訟を起こすのが家族というもの。使える手段は全て使い切ってからでないと、再び前を
向くことが出来ないのだ。
しかし、今回は「負け」を覚悟の医療過誤の相談のためだけに出向いてきた訳ではない。
「これに関する相談が、もう一つある」と私は次の予約をとり、この日の相談を終えた。
ことごとく夏樹をめぐりゆく蝶か