杖歩行で要支援1、とはいえ母は、入浴も含めた自立生活を諦めてはいなかった。
だが、骨折以前と同じであるはずがなく、買い物から家事全般までが父の担当に。
地域包括支援センターのケアマネージャーが担当になり、週に一度、室内清掃の
ヘルパー訪問が始まった。
当面のリハビリについては、自力の歩行訓練や体操で脚力の回復を目指すとし、
天候の穏やかな折には、自宅近くの神社境内を歩くことが日課になっていった。
取り組んではみたものの退院より丸1年、母の左足は以前の太さには戻らない。
用心していても出先や室内でまた転んでしまい、回復は思うよう進まなかった。
「歩き出そうとする際に、最初の一歩目が踏み出しにくい時がある」などと訴える母は、
神経内科を受診したところ、やはり、その兆候があり<パーキンソン症候群>との診断。
脳内に不足している神経伝達物質ドパミンを補う<メネシット>という薬の処方を受け、
とりあえず、毎食後半錠。一日1.5錠 で、その効果を観ることとなった。
それを受け、平成24年9月、介護区分の変更が届けられ、要支援1 から一気に3段階 上がり、
要介護2 となった。地域包括支援センターのケアマネージャーが要支援者の担当につく場合、
<要介護>となった時点で民間事業所に担当を引き継ぐ決まりがあると、その時に告げられ、
選定を迫られることに。その民間事業所一覧から、一つを選べと言う。
判断がつかず「どこか推薦して欲しい」とそれまでの地域包括ケアマネージャーに頼むと、
設立から約20年、市内に6支所の居宅支援を置く社会福祉法人を紹介され<副主任>との
肩書の地元支所、ベテランケアマネージャーが派遣されてきた。
これまでの地域包括のケアマネージャーは立場上、市役所の職員で公務員ということなる。
ざっくばらんで、およそ役人らしからぬ人となりに比べ、新担当は対照的な雰囲気だった。
ふくよかな体型で齢の頃は60前後かという女性だが、洒落っ気のない銀縁の眼鏡を掛け、
少し高めの声で話す様子は、いかにも生真面目で杓子定規な人柄を思わせた。
<メネシット>の服用で、歩行の踏み出し難さについては一定の改善があるかと思われたが、
つまづきや転倒の防止は、やはり、地道な筋力の回復に取り組んでいくほかなさそうだった。
梅雨湿めり梯子達磨は傷だらけ